講演会で出会った 「アインシュタインの言葉」の件

[この記事は今後も編集する可能性があります]

ある有名な方の講演会で、「アインシュタインの言葉」(大正11年)というのを知りました。かなり印象的だったので、これを書き留めようと思い、ネットで同じ文章が出ていないか、など、調べようとしていたところ、萬晩報に、大正11年のアインシュタインの来日に関する記事が詳しく書かれていましたので、リンクを張っておこうと思います。

アルベルト・アインシュタインと日本

 

こちらの記事の終わりに、今回、書こうとしていた「アインシュタインの言葉」について、触れてありましたが、ソースが確認できないことが書かれていました。

そのソースについて、気がかりで、もう一度ネットで検索をして見ますと、ソースとして疑われる、雑誌「改造」などに関する記事が、いろいろひかかってきます。興味のあられる方は、検索をしてみてください。

 

このアインシュタインの言葉について考えていると、
情報への向き合い方の難しさや、情報の政治への影響など、
いろいろ思いがめぐります。実際に、日本の歴史にも影響したのではないかと想像してしまいます。

ネット上では、アインシュタインが「言ったかどうか」の議論が中心に掲載してありますが、今、私が思うのは、こんなことです。

現代に生きる、一人の私が、改めてこの文章を読むと、「アインシュタインの文章」は飛躍しているように感じます。でも、アインシュタインの出会った、愛すべき大正時代の純真な日本人にとって、この「アインシュタインの文章」はどう映る言葉なのでしょう。素直に受け取れる部分がどのくらいあるのでしょう。私と明らかに感性が異なる時代の方々の受け取り方。。。。

そんなことを考えると、私にとっては、謎の尽きない文章です。たとえ架空であったとしても、つまり、アインシュタインが言わなかったこととしても、これは誰かの強い思想にかわりはありませんし、一部の単語を置き換えながら日本人として向き合わないといけない(強制ではないですね)文章かとも思われます。

 

講演会でのお話が、いろいろ考えるいいきっかけとなりましたし、また、上記サイトの記事(アルベルト・アインシュタインと日本)には、元気づけられるアインシュタインの言葉が多々掲載されていました。

講師も「文章」も掲載しないで進めてきましたが、ご容赦ください。今回はこの記事自身が謎解き的な文章になってしまいました。